オタワから来たステファニーは、シアトルに住んだ。
家の表に出ると近所の人が元気に声をかける。
いっぱい話す。
彼らが家に入ったあと、ステファニーは
「 いい人たちだけど、話し過ぎるのよね 」
シアトルの前には東京で住んでいた彼女は
「 日本人は、普通の会話もできない人が多いわね。
それは、英語ができないっていうのは関係なくて
日本人同士でも、普通の会話ができないみたい 」
今は、もっといいところを求めてステファニーは
コペンハーゲンに住んでいる。
しゃべり過ぎ (=アメリカ) と黙り過ぎ (=日本) の中間が
ヨーロッパにある。
「 世界一住みやすい町 」 によく選ばれるのは
いつもバンクーバーかコペンハーゲンかチューリッヒ。
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ステファニーのお父さんは、松山にあったロシア人収容所
で生まれた。
ロシア革命から逃れてきた人たちが四国に住んでいた。
お父さんを産んだお母さんは、若くして松山で亡くなった。
1992-1993年頃、エイジはステファニーと一緒に、
このお母さんが亡くなった場所やお墓を探しに行った。
人のルーツを探る体験は、いろんな勉強になった。
一番学んだのは
「 平和じゃないといけない 」
「 人はどこの国の人も仲良く 」
ということ。