1995年4月、私はハノイにいた。その日は、ベトナム戦争終結の20周年記念日。
1992年頃か、サイゴンの「戦争犯罪博物館」に行った。我々の考える博物館とはほど遠い、日本の50年前の木造りの小学校のような建物の中にいくつか教室のような部屋がある。
ギシギシ鳴る床を歩くと壁に掲げられた写真。立派なケースになんか入ってない。ただそのまま貼り付けてある。
ベトナムの農民たちの首を20くらい地面に並べて、8人ほどのアメリカ兵がニコニコしながら小銃をかついてその後ろに立っている。そういう"遊び"をしていたらしい。日本軍の「百人斬り」競争のように。
唖然として、目を落とすと日曜大工で作ったような展示台の上には大きな漬物ビンのような入れ物が数個並ぶ。中には枯葉爆弾等の影響で奇形で生まれた赤ちゃんの遺体が。
奇形赤ちゃんは30年経った今でも生まれている。
アメリカはベトナムを20種(?)ほどの新型爆弾の「実験台」にしたことを否定。一切の補償も拒否。日本も中国、韓国に埋めてきた毒ガス兵器の処理はしない。今も子供たちなど犠牲者が出ている。
アメリカ軍は今、最悪の兵器、劣化ウラン弾をイラクで使い、命を奪うだけでなく、国土そのものを放射能汚染地帯にしている。コバンザメ日本はヘーコラ、手伝っている。
川柳: ああ軍隊、やつらが動くと、人狂う