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最悪の犯罪 - 従軍慰安婦
   ○● 世界からの手紙 ●○

(Japanese) Play "Comfort Women" (Butterfly)
(This article is about the play "Comfort Women,"
performed on November 21, 2008 at Evergreen
Cultural Centre in Coquitlam, BC, Canada.
An English translation will follow soon.)

  被害者と心でつながること、そして絶望から希望へ

    ―演劇「コンフォート・ウィメン」を鑑賞して―

ピース・フィロソフィー・センター
乗松聡子

筆舌に尽くしがたい苦難と屈辱の経験を背負いながら人間は
どうやって現在を生きていくのか。過去を捨てて現在に生きて
いくのか、それとも現在から自らを遮断して過去の中に生きて
くのか、あるいは現在の中の過去を見つめながら一瞬一瞬を
生きていくのか。
旧日本軍に性奴隷とされた女性たちはそれぞれの選択を
生きつつ、今新たな道を歩み始める―。

2008年11月21日、カナダ西海岸・バンクーバー近郊の町
コクィットラムにあるエバーグリーン文化センターの劇場で
日本軍「慰安婦」をテーマにした韓国の演劇
「コンフォート・ウィメン」(原作キム・チョンミ、演出バン・ウンミ)
を鑑賞した。
3日間、のべ6回に渡る公演の第2回目に行ったのだが、
定員260余りの劇場は満席であった。今回の公演の
英語題は コンフォート・ウィメン(「慰安婦」)であるが、
韓国語題は「ナビ」(「蝶」の意味)であった。
私の理解では、蝶はこの作品で象徴的な意味を持っており、
被害者の女性たちが証言を通じて尊厳と自由を取りもどす
過程を、蝶が羽ばたく姿に重ねている。
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あらすじはこうである。舞台は1994年のニューヨーク。
キム・ユニは娘家族と共にひっそりとした生活を送っていた。
ある日、ニューヨーク大学の学生である孫のジナが勇んで
帰ってくる。
今度、第二次世界大戦中に旧日本軍に「慰安婦」とされた
被害者たちが国連に招かれ証言をするためにニューヨーク
に来ているのだという。
ユニは、そういった人たちと関わるのはやめなさいとジナを
たしなめるが、ジナは言う。
「実は二人のハルモニを今家に連れてきているの。」
動揺するユニの前に二人のハルモニ(おばあちゃん)が
現れた。
過去の辛い体験を話しつつ豪快に笑い歌うタフなハルモニ
たちは、ユニの冷たい態度が気に入らない。
しかし話しているうちにハルモニたちはユニのおかしな
様子に気づく。
爪先の傷跡、そして背中に入れ墨の跡らしきものが・・・
ハルモニの一人ボキは、ユニを良く見て思い出した。
昔、日本軍将校付の「慰安婦」であった「花子」ではないかと
問いかけられ、ユニは激しく否定する。
ユニの心の中に死んだ母の声―
「あれは悪夢だったのよ。悪夢に過ぎなかったのよ。
 忘れなさい。」
―と共に恐ろしい記憶が次々とよみがえってくる。
封印した過去と直面したユニは耐えられずに自ら死を選ぶ。
そこに孫のジナが駆けつけユニを抱きしめる。
「ハルモニ、私はおばあちゃんを心から誇りに思う。」
息を吹き返したユニはジナに「窓を開けて」と頼む。
ジナが開けた窓からは、部屋全体を照らす陽光と
さわやかな風が吹き込んでくる。
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最後のシーンでは会場全体から涙を抑えきれない様子が
伝わってきた。
何を隠そうこの私も、そして一緒に行った中国人の
平和活動仲間であるハン・アーク君も泣いていた。
日本軍「慰安婦」問題はもちろん知っていたし昨年はソウルで
日本大使館前の抗議デモ(毎週水曜日に元「慰安婦」と
その支援者が行うデモで、17年間続いている)にも参加し、
ハルモニたちが共同生活を送る「ナヌムの家」にも行ってきた。
この問題を専門に扱う東京の博物館
「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)の会員にもなって
関心を持ってきた。
女性たちの悲惨な体験とその後の苦悩を、本当に理解するなど
できないことは承知しつつ自分なりにわかろうとしていた。
しかしこの劇を見て、いかに自分の理解がまだまだ知的理解に
留まっていたかを思い知った。この劇に出てくる「花子」という
日本名を与えられたユニは15歳のときに連行され、
器量が良いので将校専用の「慰安婦」にさせられる。
他の「慰安婦」からは「あなたは一人しか相手にしないから
梅毒にならなくてすむ」などと妬まれたりした上、最終的には
将校にも暴力を振るわれ、別の慰安所に移送されて多くの
「慰安婦」と同じようにたくさんの兵士から強姦を受けることに
なる。

戦後は母親から全てを悪夢だと思って忘れるように言われ、
結婚し子どもを産むが、夫に「慰安婦」であったことが知れ、
そこでまた暴力を受ける。
この劇に出てくる数々のリアルな回想シーンが、本や証言で
聞いた話を生々しく再現させ、観る人の心に迫る。

後援団体であるBCアルファのテクラ・リット代表は
「被害者との心情的なつながりを育んでほしい」と語っているが、
まさしくこの劇によって、私はハルモニたちとの心のつながりを
深めることができたと思う。
また、世界では今も進行中の戦争や内紛で、多くの市民、
特に子どもや女性が犠牲となり、また性暴力という犯罪は
紛争地域だけではなく一般社会でもいまだに多発している。
この劇が提示するテーマは、旧日本軍「慰安婦」問題に限らず、
そして決して過去のことではなく人類が直面する現在の問題と
して捉えていく必要がある。

この劇を観てもう一つ感銘を受けたのが、主人公ユニの絶望
から希望への転換である。
「慰安婦」であった過去を隠して結婚し、何も知らない娘夫婦や
孫と一見幸せに暮らしているが、突然目の前に現れた二人の
被害者を前に隠し続けることができなくなり、50年近く封印を
していた過去と対峙することになる。
それは自分の中に今も住む、傷ついて癒されないままでいる
少女時代の自分だけでなく、将校の専属として他の女性たち
よりも「ましな」待遇を受けた経験や、一緒に逃亡を試みた
友人を見捨てなければいけなかった体験への深い罪悪感や、
自分が悪いのではないとわかりつつ家族に真実を打ち明けられ
なかった葛藤といった全ての耐え難い感情と向き合うことになる。
ユニが死を選ばなければいけない理由など一つもないのに、
そうするに至ったユニの苦悩が痛いほどわかった。
しかしここで死なないで欲しい。
お願いだから死なないでと心の中で叫んでいる自分がいた。
この劇で孫のジナ役の女優は「慰安婦」時代のユニも
演じている。
死の淵をさまよい目覚めたときに自分を抱きしめていた孫のジナ
を見て、苦しみを知らなかった少女の自分と重なっただろう。
そして未来の世代を担うジナに希望を見出したであろう。
そしてそのジナの愛情を受け、「誇りに思う」と言われたことで、
生き続ける勇気を得ていく。
長崎の被爆者である下平作江さんを思い出す。
戦後、病気と貧困と絶望の中
「死ぬ勇気と生きる勇気のどちらかを選択しなければ
いけなかった」
状況で、生きる勇気を選んだ人だ。状況は違うとはいえ、戦争を生き延びた人たちがその苦悩や絶望の先に勇気や希望を見出していく過程には、家族や友人、支援者たちの愛情が重要な
役割を果たすことは間違いないと思う。
この劇のユニには孫という存在があったが、多くの性奴隷の被害者たちは、この劇の二人のハルモニのように、頼れる家族はいない。
そうすると一体誰がハルモニたちにジナのような愛情を注ぐ
ことができるのか。
それは、この劇を見た一人一人、そしてこの性奴隷の問題を
直視し、ハルモニたちを支援していく私たち一人一人に
託されているのではないだろうか。
ユニは人間性というものへの一縷の信頼を頼りに生き延びる
決心をした。
その信頼に応える責任は、国境や性別、立場を超えて、
私たち人間の一人一人にあるものだと固く信じる。

今回この劇のカナダ公演をプロデュースした劇団ハヌリ
(代表ジャネット・ソン)のマーケティング・ディレクターである
ケヴィン・ソン氏によると、この劇の上演は
2003年以降韓国で通算約300回以上になるとのことである。
海外公演は今回のカナダが初めてで、
トロントとバンクーバーで上演した。
劇団ハヌリはバンクーバーのコリアン系カナダ人による
19年の歴史を持つ劇団で、今回はキャスト7人全員と
スタッフ4人が韓国から来加した他は、劇団ハヌリの20人余の
地元スタッフが協力し、この公演を実現させた。
会場にはコリアン系だけではなく、ヨーロッパ系、中華系、
日系等のさまざまなカナダ人の顔ぶれがあった。
世界にこの問題への認識を広めるという意味で、多文化社会
バンクーバーでの公演には大きな意味があったであろう。
これをきっかけに韓国外での公演が広まり、特に日本での
公演が実現することを願っている。

Posted by Satoko
Peace Philosophy Centre
(http://peacephilosophy.blogspot.com/2008/11/japanese-play-comfort-women-butterfly.html )
- Photos : Satoko Norimatsu -

  ○● 記事を読んだ方たちから ●○

まず、この劇のタイトル韓国語で「蝶」というのに惹かれました。
どこかで読んだのか、誰かに教えてもらったのか忘れましたが、
蝶って、さなぎから成虫になるときに、さなぎの中で筋肉が溶けていったんドロドロに
なるそうなんです。
だんだん形が変わるというよりも、いったんドロドロになって、蝶として飛び立つ。。
このドロドロが「ゼロ」を意味すると表現していたので、ホーポノポノ関係の記事を読んだのかな?
聡子さんの記事のあらすじなどを読んでいると、従軍慰安婦になる以前の自分達を
取り戻すというよりも、それをもっと超えた新しい”何か”に彼女達がなろうとしているような
感じがしました

そして、私も去年バンクーバーで従軍慰安婦だったハルモニの話を聞きました。
それだけでもショックであり、重かった・・・。
そのときは、そのおばあさんの従軍慰安婦のときの悲惨な体験だけだったけど、
この劇では、従軍慰安婦中の様々な葛藤、開放されてからの更なる苦悩、そして、忘れようとしていた
過去が、年老いてから追いかけてきて追いつかれたことが繊細に表現されていたのですね。
日本で講演されるとしたら、私もぜひ見たいです。被害者の心情的なつながりをはぐくむために・・・。

なぜ、従軍慰安婦問題を過去の問題ではなく、現在の問題として捉える必要性があることも伝わってきました。
そして、元従軍慰安婦の方達を愛情で支えることが必要不可欠なのである、という聡子さんの
思いが感情的にというだけでなく、論理的にも伝わってきました。

  =====

私は自分の感想を話したいですが、日本語のレベルが有限なので、もし誤ったところがあれば、お許しください。
慰安婦問題は第二次世界戦争の歴史遺留問題として、二戦が終わった後長い間で、人々の重視を得ていませんでした。前世紀の90年代、いくつかの良知がある日本の専門家と学者が慰安婦問題の資料を考証し、研究するため、日本政府はやっと“日本軍側が前線将兵のために慰安所の設立を命令しました”、“組織して‘慰安婦’に対して性酷使を行うことがありました”ということを承認して、これは疑いをはさむ必要がない事実ということを認めました。どうしてこんな長い時間を経て、この歴史事実は水面を浮かびだしたのか、これは私達が深く考えるべきなのだと思います。
最近、だんだん多くの国家は慰安婦問題に対し関心を持ち始めます。中国、韓国、オランダ、フィリピンなどの国々の慰安婦は次から次に立ち上がって、その痛ましい歴史を証明します。米国の衆議院も慰安婦問題に対して公聴会を行いました。しかし日本のたくさんの政治家は依然としてこの歴史を承認しないので、人に心を痛めていさせます
二戦において、中国の20万女性は日本軍に「慰安婦」を強征されました。、前世紀の90年代以来、中国は相前後して100数名の慰安婦の生存者を発見しました。しかし歳月の経過に従って、彼女たちの中でいくつかの人はもうなくなりました。現在46人だけ残しています。歴史にもっと多くの証拠を残すために、中国の学者達はいま生存者の録画を順々に進んでいます。彼女たちの口述資料を保存し、そしてこれらの資料に対して法律公証を行います。同時に、たくさんの書面資料を整理し、大量の本を出版しました。しかも07年7月に「中国慰安婦資料館」が創設されました。これは韓国ソウルと日本東京に継いで、世界第3の慰安婦資料館です。
彼女たちは戦争の被害者として、われわれの同情と関心が必要です。彼女たちに公正な返答をあげて、残念がない、幸せに人生の最後の時を歩き終わることは私達がやり遂げられるのですが、私達はやらなければなりません、これは私たちの責任です。
by fighter_eiji | 2008-12-05 08:04
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