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最初のビデオレコーダー
== 「 エイジさんの学生時代を 」 とメールが届いたので ==

それは14才の時。
目がパッと開いた。
「 家庭用ビデオレコーダー発売 」 がその広告だった。

当時一番嫌いなのが勉強。
二番目は学校。
毎日、遊びまくって、暴れまくって、しょっちゅう先生に
呼び出されても 「 オレは用がない 」 と、
決して職員室には行かない。
時間がもったいない。

学校が言う勉強はぜったいしない私には個人教授がいた。
それは映画。
映画館はお金がかかるから時々しか行けなかったけど、
テレビの映画放映はほとんど全部を観た。
そこには学校の授業とはちがって
素晴らしい冒険や新しい世界が広がった。

映画雑誌 「 スクリーン 」 で見たそのビデオの広告に
さらに夢が広がった。
それまではカセットレコーダーをテレビの前に置いて、
なんのコードもなしに音を録音していた。
夢の録画装置の価格は30万円を超えていた。
それは1975年だから、今の100万円くらいな感覚だ。

家の両親は私が勉強をするのを一度も見たことがない。
しないんだから見るわけはない。
当時、親父とは口をきかなかった。
彼はいつも遊びまくって、時々1時間電車に乗って
高松へ映画を観に行く私をひどく気に入らなかった。
お袋には怒っていたらしい
「 なんでエイジは勉強せんのだ!」 と。
そのお袋は、私に一度も 「 勉強しなさい 」 と
言ったことはない。
言っても無駄だし、
言えばさらにマイナスになるのを知っていたから。

「 絶対にこのビデオを手に入れる!」
それが14才の私の決心。
「 丸亀高校に入ったら、このビデオを買ってくれるか?」
とお袋に「 スクリーン 」 の広告を。
30万円という価格付きの広告は、お袋が親父に見せた。

地元で一番有名な高校に 「 エイジが合格するわけがない 」
と考えた親は約束してもまったくリスクはない。
親父は約束した。

丸亀高校受験の話をすると、
担任の先生は 「 あんたアホやな!」 と笑い飛ばした。

何年も学校の机の中に押し込まれてままだった教科書を
開いた。
4ヶ月後に合格。
喜びすぎた親父はすぐに
Sony – Betamax ビデオレコーダーを買った。
当時、普通の電器店にはビデオレコーダーすら置いてなく、
Sony の丸亀支店に注文し取り寄せた。
店のスタッフもその装置を初めて見た。

1本の Betamax ビデオテープの録画時間は最大1時間。
1本は5500円だから2時間の映画1本には1万1千円かかる。
テープもその都度、注文取寄せ。
映画録画中のテープ交換はコマーシャルのタイミングに
行なうから、時計を見ながら気合いが入る。
コマーシャルカットもしていたから、右手の人差し指と親指は
「 一時停止 」 のレバーを握ったままの2時間。

『 街の灯 』
『 シェーン 』
『 自転車泥棒 』
『 天井桟敷の人々 』
『 鉄道員 』
『 山猫 』
『 道 』
『 アラバマ物語 』
『 灰とダイヤモンド 』
『 わが谷は緑なりき 』
『 サウンド・オブ・ミュージック 』
『 十二人の怒れる男 』
『 七人の侍 』
『 奇跡の人 』
『 大列車作戦 』
『 まぼろしの市街戦 』
『 大いなる勇者 』
『 俺たちに明日はない 』
『 イージーライダー 』
『 ひまわり 』
『 セルピコ 』

学校の勉強を無限大に上回るもっと大事な
「 本当の勉強 」 が家庭に届いた。

高校に入ると、ますます学校の勉強はつまらない。
成績はずっとクラスで2番だったが3年生になると1番に。
もちろん下からである。
大学に行くつもりはまったくない。
ますます親とはしゃべらなくなって
「 もう家にいるのは耐えられない 」 と思ったから、
3年前と似たような作戦に出た。
「 オレがまあまあの大学へ入ったら生活費を出せるか?」
と親へ。
大学を完全にあきらめていた親は 「 どうせ無理だから 」
と約束。

受験することを聞いた担任は即座に
「 絶対に不可能だ!」 と言い切った。

12月1日は「 映画の日 」。
「 よし、これはオレの日だ 」 と思って、
12月1日から教科書の暗記を開始。
2ヶ月半後の大学入試で中央大学、法政大学他に合格し、
念願の家を出ることに。
家を出た日は、今でも人生最良の日。

映画を録画するように、
教科書の内容を頭に録画してごまかした高校と大学入試。
どちらも、もっと映画を観るための手段だった。

あの Sony - Betamax をかかえて船と電車を
乗り継いで東京へ。
「 1日最低2本 」 を目標に毎日、
名画座やアテネフランセ、日仏学院、
京橋のフィルムセンターに通う。
フィルムセンターは学生料金が130円くらいだったと思う。
たったの130円でゆうに130万円を超える価値のある
映画の数々を。
映画のあと、持ってきたスポーツバッグを肩に、
夜は協栄ボクシングジムに通った。
当時は具志堅用高さんが世界チャンピオン。
昼間は世界一の映画、夜は世界一の選手の練習を見た。
自分でプロボクサーになっても世界の壁という
果てしなく遠く高い城壁を感じた。
最高峰の映画を作った映画人たちの
気骨や賢さや勇気を同時に学んだ。

[ ボクサーのオレは一生修行しないと ]
と決めた私は酒・タバコ・キャバレー・パチンコなんていう世界に
一滴も、一歩も入ってない。
[ ボクサーのはしくれのオレは 「 疲れた 」
 という言葉を絶対に言わない ]
と決めた。それ以来一度も言ってない。

それは映画が伝えてくれた人間の崇高さ。
それは映画が教えてくれた信念の尊さ。
そしてボクサーの闘うリングが教えてくれた潔さ。

反逆児だが不良じゃない。
反体制だがチンピラじゃない。

数多くの格調高い映画のおかげ。
人間が生きる意味を、録画して何度も何度も観ることで
学んだおかげ。
映画一本に1万1千円かかったテープのおかげ。
こづかいをためるのにも使うのにも気合いが入っていたから、
見方、吸収力がちがう。

今、1枚20円ほどの DVD で何千本もの映画を録画するが、
あの Betamax テープから学んだ真実にはかなわない。
今、ハイテクを駆使したマーケティング商品としての
映像作品が大量放出されるが、
あのテープに収められた数十本の映画にはかなわない。
幼い頃、若い頃に学んだものが、その後の自分の血肉になる。

2年ほど前、名映画監督のヴィクトル・エリセが言った
「 今の映画の95%は映画じゃない。
 本当の映画とは人間や自然の道徳や倫理を描くもの 」
それはあらゆる映像作品にも言えること。

いい映像は真実を伝え、人の人生を真実にする。

18才でミカン箱ほどもある大きなビデオレコーダーを抱えて
東京に来た私は、48才の今、小型のビデオカメラを腰に
世界を回る。
世界に暮らす人々を記録するために。
いろいろ教えてくれた世界にお返ししなきゃ。
by fighter_eiji | 2009-03-30 23:14
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