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黄色い星の少年と黄色い人たち
子供たちへ :

日本軍の収容所に入れられた人達の映画も
作られるけど、日本では公開されない。

ナチスの収容所の話は、全部公開して、
「 ドイツは、悪いヤツ 」 と、すり替えて、自己満足。

ドイツは、反省ぶりがすごいから、世界の一員。
日本は、お金以外、相手にされてない。

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 ユダヤ人少年のモデル来日 「黄色い星の子供たち」
     2011年7月22日   朝日新聞
黄色い星の少年と黄色い人たち_c0157558_0574794.jpg
ジョゼフ・ヴァイスマンさん

第2次大戦中のフランスにあったユダヤ人収容所を脱走し、
生き延びたジョゼフ・ヴァイスマンさん(80)が来日。
23日に公開される自身がモデルの映画「黄色い星の子供たち」
のもとになった69年前の記憶を、赤裸々に語った。

1942年7月16日、ナチス・ドイツ支配下のフランス
政府は約1万3千人のユダヤ人を一斉に検挙。
当時11歳のヴァイスマンさんは、
パリで両親や姉妹と共に逮捕された。
初めに移送された競輪場には水も食料もなく、
次の収容所では両親と生き別れた。

「明日はどうなるか」と、1人の少年と脱走を企てる。
厚い有刺鉄線をかき分け、4日間走り続けた。
孤児院を転々とし、追っ手を逃れた。

戦後は家具店の夫婦に引き取られ、
会計士の資格を得て店を継ぐ。
結婚して3児を授かった。
一方で、収容所を思い出すたびに
「ユダヤ人だから迫害されたのか」と苦しんだ。
20年ほど前、ユダヤ系の政治家に
「生き残ったあなたには、失った人の記憶を補う義務が
あるのでは」と言われ、悩んだ末、人前で体験を語り始めた。

映画はローズ・ボッシュ監督、メラニー・ロラン主演。
撮影に立ち会った。
検挙された夜、競輪場の劣悪な環境、収容所で浴びた太陽の光。
「あのときの苦痛を、昨日のことのように思い出した」という。

 何回も自殺を考えた。
いまは、与えられた人生を全うするつもりだ。
「どんな不幸に見舞われても、人間には乗り越える力がある」
と信じている。(井上秀樹)

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エイジのフランスの親友、ザジの家族のほとんどは、
アウシュビッツで殺された。
ひとりだけ生き延びたおばさんは、何も語らない。
語れない。

ザジは、エイジが訪れた強制収容所の
写真も見ることができない。
つらすぎて。

でもザジは、言う
「 エイジがそのことをみんなに話すのは、
 とても大事なこと 」
by fighter_eiji | 2011-07-23 01:02 | Children’s Times
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