フクシマ50 下請け社長は
「死んでもいい人を」と発注受けた
2011年8月1日 週刊ポスト8月12日号
菅首相が原発対応拠点のJヴィレッジを
訪れた日も、彼は現場で働いていた。
作業服の背中には、「菅直人1回現場に来てみろよ」と。
4か月以上経ち、いま明かされる「フクシマ50」の素顔。
原発でともに作業するフリーライター・鈴木智彦氏の、
刮目レポートである。
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俗にいう「フクシマ50」の定義は、「第一原発(以下1F)
の1号機と3号機が立て続けに水素爆発をした後、
1Fに残った職員・作業員」となる。
東電はフクシマ50を英雄のまま曖昧な存在にしたい。
一方のフクシマ50にしても、おおかた口が堅い。
私はそのうち4人を知っているが、フクシマ50だと
カミングアウトすることをためらっている。
そのうちの若いひとりを、佐藤としておこう。
彼は、1Fへの“召集令状”を受け取り、
地獄絵図の中に降り立った協力会社幹部だ。
「社長は上会社から『死んでもいい人間を用意してくれ』と
いわれていたらしい。
もちろん佐藤は自殺志願者ではない。
これまで原発を生活の糧にしてきた贖罪だったわけでもない。
「居直るわけじゃないけど、誰も原子力や原発が社会的に
どうのなんて考えず、普通の会社に就職する感覚で
この仕事に就いてるんじゃないですか?
原発が善か悪かなんて、深く考えたことなかったです。
学校もろくに行ってないんで、難しいことは得意じゃないし。
最初に1Fへ入ったときは、たしかにドキドキしましたね。
(1Fに向かう)バスの中、みんな青白い顔して泣きそうなんです。
話しかけられる雰囲気じゃなかった。
でも俺、わくわくしちゃって、みんなを写メで撮ってました。
20代とか、若いヤツらのほうが元気だったですね。
年取った人ほどブルってた。なにかあっても死ぬだけなのに」