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元々ダメな男は、もっとダメ
  「原発離婚」「放射能別居」「避難所婚」
   被災地で決断する女たちのホンネ
  (週刊朝日 2011年08月12日号配信)

非常時にこそ、人間性が露呈するという。

「震災で、主人がどんなにダメな人間かがわかりました。
原発を恨む気持ちはありますが、あんな人ときっぱり
別れる決心ができたことはよかった」

 こう話すのは、福島県に住む山岡美紀さん(41)。
山岡さんは現在、夫と離れ、小学生の息子と
幼稚園の娘を連れて広島県に避難。

当初は、山岡さんも放射能を気にしていなかった。
50キロ以上離れていたからだ。

だが、放射能の広がりが明らかになるにつれて、
子どもを守ろうと外で遊ぶことを禁じ、内部被爆を
避けるため学校で給食を食べることもやめさせた。

息子の同級生のなかには、遠方に引っ越す家族も。

「自分たちも遠くに引っ越したほうがいいのでは?」
と夫に相談したが、「大丈夫だろう」の一点張り。
無頓着さに不信感が募った。

幼い子どもを抱える母親から、10万円以上もする
放射線量測定器を購入したと聞いた。

居ても立ってもいられなくなって山岡さんも
購入したが、夫は怒りだし、激しい口論に。
「どうしてそんな高いものを買ったんだ」
「子どもを守るために決まってるでしょ」
「過敏になる必要はない。そのうち子どもは育つ。
そんな高いものをオレのカネで買うな! 返品しろ!」

口を開けば測定器を巡って口論ばかり。

「主人は近所に住む自分の両親まで連れてきて、
一緒になって『なんでそんな高い買い物をしたんだ。
すぐに返品しなさい』と繰り返す。
そのくせ余震が起きると、いつも私や子どもを放って、
我先に一人で机の下に隠れてしまう。
私は必死に覆いかぶさって子どもを守っていたのに、
『おまえらも無事でよかったな』なんて言うんですよ。
こんなダメな人だったのかと、すべてが悪く
見えるようになってしまいました」

そして、山岡さんはついに、署名した離婚届を置き、
子どもを連れて家を出た。

「福島にいたいという気持ちはありましたが、
子どもが心配だったので、親戚の家で世話に
なっています。原発のおかげで私も
子どもたちの人生も変わってしまいました。
福島の友達に聞くと、地元では放射能を巡って
夫婦間のトラブルがあちこちで起きていて。
まさに“原発離婚”ですよ」

福島県双葉郡に住んでいた手塚雅子さん。
「原発事故が起きてから、主人と衝突ばかり。
もう元に戻ることはありません」

手塚さんの夫は原発の作業員をしていたが、
自宅が警戒区域に指定され、58キロ離れた
郡山市の親戚宅に身を寄せた。

同じ郡内の別の場所で暮らしていた夫の両親も一緒。

「しばらくして、主人に『もう一度、福島第一原発で
働かないか』という話がきて、原発に行ったきり。
間に入って取りなしてくれる人がいなくなったために、
残された私は主人の両親といさかいが絶えなくなって」

原因の多くは放射能の問題だった。
一人娘はまだ小学生。
しかも、原発事故直後から風邪でもないのに
頭痛と鼻水を訴えており、不安を感じていた。

「子どもが心配で仕方がないのに、義理の両親は放射能に対する危機感がまったくない。外で遊ばないようにと子どもに注意していると、『子どもは外で遊びたがっているじゃないか。原発の近くに住んでいる時だって外で遊んでいて、問題なかった。郡山は遠いから大丈夫だ』なんて言う。次第にストレスがたまり、主人に電話であたりちらすと、『こっちも仕事で大変なんだよ!』と逆ギレされてしまって……」

最後は「もう離婚するしかない」。

「結局、私が娘を連れて家を出ました。パートをしながら福島県内のアパートで暮らしています。私はもう主人の顔も見たくないのですが、なかなか離婚に応じてくれません」

1995年に起きた阪神大震災では、非常事態に直面した夫婦が価値観の違いに気付いて破局に至る例が相次ぎ、「震災離婚」という造語も登場した。

震災の影響は、遠く離れた場所で暮らす夫婦にも。

「神奈川県茅ケ崎市の沿岸部に家を買った男性からは、『妻が津波の恐怖でヒステリックになって関係が悪化してしまった』という相談がありました。景気悪化で収入が減ったために、夫婦仲が悪くなったという相談も多く」

一方で、「離婚を考えていたが、震災で家族の大切さが
身にしみたので踏みとどまった」というケースも。

瀬川理恵子さん(50代)は、認知症の義母を
巡って夫との争いが絶えなかった。

瀬川さんいわく、夫は「昔の男性」。
家のことは何もせず、義母の面倒もほとんど
瀬川さんが見ていた。

それなのに、夫は母の病気を認めたくないのか、
「ご飯を食べていない」と訴える母を信じて瀬川さんを怒鳴る。

これまで女性問題にも目をつぶってきたのに、
夫は頑固になるばかり。
震災前に、家庭内別居を始めた。

震災では、自宅は無事だったものの、
部屋の中はグチャグチャになった。
だが、夫は当然のように何もしない。

水が出るまでは、瀬川さんがポリ容器を担ぎ、
男性ばかりが並ぶ給水場で水をくんだ。
だが不思議なことに、そんな毎日を過ごすうちに、
「離婚したい」という気持ちが収まってしまった。

「亡くなった方たちのことを考えると、私の不満なんて不満のうちに入らないと思うようになったのです。今日あるものが明日もあるかわからない。どんな人でも家族は家族(笑い)。大事にしたいです」

女性たちはみな、潔い「決断力」を持っていた。
この非常事態にこそ発揮された力だったのかもしれない。
国のトップにも見習ってほしい。 (小宮山明希)
by fighter_eiji | 2011-08-18 17:05 | Children’s Times
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