子供たちへ :
エイジが11才の時、1972年に
クリント・イーストウッドの初監督作
『 恐怖のメロディ 』 が封切られた。
「 あっ!クリントは監督でいける!」 と思った。
でもそのあとに続いた監督作は、どれを観ても
「 ウ―――・・・」 と思ったけど、本人は監督を続けた。
「 あっ、やっとクリントは、監督らしい映画を撮った。
なんか自分の世界ができた!」 と
思ったのが 『 ブロンコ・ビリー 』 (1980) で
それは、東京の大塚の映画館で観た。
そこから調子が出た。
あのダメだった時に辞めてたら、今のクリントはない。
人にどう思われようが、やればいい。