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ふたりの1915年生まれ
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● 南の島と、侵略と、パイロット

美しい南の島、ティニアン島。
チョモロ人たちが平和に暮らしていた。
ある日、日本軍が襲いかかり殺戮と略奪。
自分の領地にした。
軍隊は飛行場を作った。

日本は真珠湾 (パールハーバー) を爆撃し、開戦。
やがてティニアン島は優勢な米軍が解放。
1945年8月6日午前2時44分、命令を受けたパイロット、
ポール・ティベッツは島に日本人が作った滑走路から
広島へ向かった。
ポールのお母さんの名前をつけた 「 エノラ・ゲイ 」
という爆撃機に乗って。

1915年生まれのパイロット、ポールはきのう
( 2007年11月1日 )、92才で亡くなった。
終戦直後にポールは長崎を訪れた。
「 爆弾を落としたことは後悔していない 」 と言い続けた。

● ブロードウェイと広島

ポールと同じ1915年生まれのイーライ・ウォラックは
ブロードウェイとハリウッドの名優。
イーライから彼の新刊本が届いた。

主演映画 『 続・夕陽のガンマン 』 の原題をもじり
『 The Good, The Bad, and Me 』 と命名された
自伝の裏表紙にはC・イーストウッドらの賞賛の言葉。
本にはイーライがいつも私に聞かせてくれるあるエピソードが。

1945年8月、彼は海兵として南フランスに駐留。
長引く戦争のさなか、広島に大型爆弾が投下され、
戦争が終結するとの情報。
「やった! これで国に帰れる!」 とイーライ達兵士は歓喜。

10年後、イーライがブロードウェイ劇 「 8月15夜の茶屋 」
に沖縄人役で主演していた時、楽屋裏で広島から来た6人の
女性に紹介された。
6人は芝居後の着物衣装を着けたままのイーライに
丁寧におじぎ。彼もおじぎを。
頭を上げると女性はまたおじぎをしたので、
こちらも頭を下げた。
それが何度も繰り返されるうち、役者の視線はどんどん
下がっていき、やがて彼女らの顔を直視できなくなった。

アメリカの慈善団体がこの6人を招き手術を施したのですが、
目に映ったのは焼けただれた6人の顔でした。
2国間の架け橋にと日本人を演じていた元兵士は
終戦の時 「 国に帰れる 」 と喜んだ自分を思い出し、
それを心から恥じ入った。

「 あの爆弾投下は、一番愚かな行為だ 」 と話す時、
イーライの目は、60年以上前の事を
まるで今起こっている事を見つめているよう。

原爆に限らず、あらゆる爆弾と武器は愚かな産物。
私が9・11事件直後に単独ボランティアとして
ニューヨーク入りしたことを知って
「 みんなが国外に逃げていた時にたったひとり、逆方向に
 飛んできた元ボクサーにヒューマニティを感じる。
 それを映画にしなさい 」
と私に脚本を書くように勧めたのもイーライ。

彼は偉大な役者であるだけでなく道徳観を
持つ立派な人間です。
また、敵味方なく広島女性に治療を施した 「 国境なきハート 」
を持つ人達がいた事実を忘れてはいけません。
日本は恥ずかしくも自国民にさえも被爆手帳を
出すとか出さないとか渋いのです。

イーライは12月7日生まれ。
その後、日本軍が真珠湾を攻撃することになる日。
by fighter_eiji | 2007-11-02 09:06
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