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警告するひざ
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「あと4日で終戦だった。そうすれば16人の学友は死なずにすんだ」
鹿児島の空襲は1945年8月11日。朝8時から降り注いだ焼夷弾の雨のあと、今度は留(とど)めの機銃掃射が始まった。13歳だった野中蘇人(のなかそじん)の左足ひざに25ミリ弾が当たり、ひざの皿が割れた。包帯も薬もない病院に行ったが、傷口にうじが湧き始め、それを割りばしでとった。
医者が「足のつけ根から切断しないと」。蘇人少年のお母さんは拒否。彼女は自分で身につけていた「西式手当療法」で治すと。彼女が右手を開いた傷口にあてると、やがてそこに電気ショックのような反応があり、出血が止まり、傷口が治り始めた。
少年のお父さんはジャーナリスト。軍事政権を批判していた彼は日本が戦争を始めて間もなく1942年8月、直腸癌で亡くなった。生前は特高(軍国日本、天皇制に対する思想弾圧を受け持つ秘密警察)に見張られていた。
「私は神を信じないが、あの時、亡くなった16人の学友たちの霊がいつも私の周りにいるのを感じている。彼らのことを思えば、なんだってつらくない。みんな13歳から15歳だった」野中蘇人さんは今、機関紙「ボーダーレス・レポート」(国境なきレポートの意)を発行し続け、お父さんがそうしたように、日本の危険な政治に警告を発し続ける。
きょうもひざが痛む。だからこそ。
by fighter_eiji | 2007-10-12 18:15
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