10年程前、ジャングルで見つけたのは第2次大戦時の戦闘機の残骸。機体の前頭部のプロペラとエンジンのあたりが茶色に焼けこけ、ツタやツルにからまっていた。
それはサイパンとグアムの間にあるロタ島(Rota)の山中。
そうした時に思うのは、強制召集され、戦闘機に乗せられ、知らないところに送られ、爆死した青年のこと。それがどこの国の人かは考えない。何人(なにじん)であろうが悲劇。
日本のおじさんで、日本本土に墜落した米兵のお墓を秘かに立てていた人もいる。でも、周りがうるさいから、その「人として正しい」おじさんは60年間もそのことを黙っていた。正しいことを堂々とできないのが軍が実権を持っている時。ちょうど今のアメリカ、日本等お金儲けに余念がない諸国のように。
ロタ島の人達はあったかい。車ですれちがうドライバーも同乗者も、みんなが手を振ってあいさつしてくれる。見知らぬ人にでもあいさつをするのは彼らには当然のことなのだ。近くにあるティニアン島も平和なチャモロ民族の国だったが、第一次大戦後、日本に支配されてしまった。今で言えば、イラクがアメリカにより侵略されたようなもの。
1945年8月、ティニアン島から原爆を積んだ爆撃機が日本に向けて飛んだ。その飛行場を作ったのは日本軍。