小さい頃、家から30m離れた小川でウナギやフナをとって遊んだ。毎日川に入っていた。いろんな魚がいた。
底なし沼のような泥池では自分よりの身長の長いかと思うほどのタイワンドジョウ(雷魚)もたくさんとった。
池の名前は鴻池(こうのいけ)というから、以前はコウノトリが飛んで来たんだろう。
夏にはホタルもたくさん舞った。うちは決して山奥ではなく、郊外の平地だけど自然があった。
今、池は埋め立てられて、川はコンクリートになり、その上にはパチンコ屋が建っている。遊んでくれた生き物は全部死んだ。
おじさん世代が言う「今は子供が遊ぶところがなくなって・・」。半分正しく、半分まちがった言い方だ。「なくなった」のではなく「なくした」のが正しい。
今、コンクリートになった川に入ると危ないという。そりゃそうだ。ツルッツルにした底と両岸のせいで流れが速い。切り立ったコンクリートの岸では池に入ったら洗面器のカエルと同じで出られない。
毎日入った川や泳いだ池で危ないことは一度もなかった。岩や草や底の高低で水はゆっくり、池も草や木やつかまるところがたくさん。
大体、本当に危ないところは先祖代々言い伝わっているからだれも行きはしない。
「遊び場をなくした」だけではなく「より危険にした」がもっと正しい。
何億年も調和してきた自然にいいがかりをつけて、セメント詰めにしたのは日本の「高度成長時」という名の「大量破壊世紀」であり「金に目がくらみ始めた時代」。
まずいのはベースが軍国主義と洗脳され切った世代だったこと。
巨大な会社や建造物を作っておいて、そこに「心」を入れるのを忘れた。