1950-60年代、ギャングがたくさん住んでいた街で、
エドワード・グレゴリー少年は生まれ育った。
ここは、ニューヨークのブルックリン。
ブラウンズヴィルという地区。
誰も立ち入りたくはないところ。
努力の末、27才の時、彼はとうとう
世界ライト・ヘビー級チャンピオンになった。
「 いちばん嬉しい日だよ。
お母さんとお父さんに 「 オレはやったんだ 」 って、
見せてあげられたからね。
あそこに暮らしたら、本当はもっと悪い人生になっても
おかしくなかったんだ。
でも、オレがチャンピオンになったことで、
両親を幸せにすることができた 」
1980年3月に、世界チャンピオンに輝いた直後、
グレゴリーという、奴隷時代の名前を改名し、
自身を、エディ・ムスタファ・ムハマドとした。
ちょうど、モハメド・アリが
「 奴隷の名前は要らない 」 と改名したように。
同年、映画 『 レイジング・ブル 』 にも出演。