
「 国歌が流れ、国旗の掲揚の時は、いい子のふりして、胸に手をあてればいい? 俺はそうは思わないね。 国が人種差別をし、明らかに政府が悪い時は、自分の意思を伝えないと 」
1968年、メキシコオリンピック、200メートル走で優勝したトミー・スミスとジョン・カルロスは、表彰台で、沈黙の抗議をした。
2位の白人、ピーター・ノーマン (オーストラリア) も彼らの運動に加わり、ライバルたちを支援した。 ハートのあるオーストラリア人は、ふたりと同じバッジを胸につけた (写真)。
それでこそスポーツマンであり、正しい人間。
ハートのない、非人間的なオリンピック委員会は、トミーとジョンのふたりのアフロ・アメリカンからメダルを取りあげただけでなく、選手村からも追放した。
ただ、普通の人間として、平等に扱われたいという、悲痛な叫びをあげている人から。
平等な社会を願ったキング牧師、マルコムX、ベトナム戦争を止める方針だったケネディ大統領は暗殺された時代。
「 人殺しはいやだ 」 とベトナム徴兵拒否をしたモハメド・アリのチャンピオンベルトとボクサーライセンスが剥奪された翌年に、このスプリンターたちが立ち上がった。
自分を守るのではなく、世界を守るために。
当時7才の私は、世界の大きなゆがみを知った。
人間には、勝負よりも大事なことがあることを目撃した。
人としての精神を失った国に黙って従うことは、非正義であることを知った。