
未来ある人達を国が洗脳し、徴兵し、「 愛 」ではなく 「 憎しみ 」 を植えつけ、食糧さえない戦場に放り出されていた第二次世界大戦中。
時々、おばあちゃんのお寺で大勢の訓練中の兵隊が休憩していった。
井戸のまわりは、いつも兵隊で溢れていた。
「 水がおいしい 」 と言って、井戸水を汲む滑車のバケツはカラカラカラカラと、回りっぱなし。
ゲートルに巻かれ、軍靴に固められた足を投げ出した200人の兵隊たちの足や、放り出されたザックの間を飛び越えながら、食べ物・飲み物をあちこちに運んだ。
おばあちゃんは、当時11才頃だった娘のヒロちゃんに 「 もうすぐまんまさん (=仏様) になる人達の足をまたいでしもうた 」 と言って、台所の土間で泣いた。
兵隊たちには、麦芽で作られた 『 ぎょうせん飴 』 もふるまわれた。
前日から3つの大釜で炊き続けた飴を割ばしに大きく巻いて、みんなに渡すと、兵士たちの口にまっすぐに入る。
兵隊といっても、甘いものが好きで、腹の減った子供たちだ。
さぞ、おいしかっただろう。
砂糖を使わない、天然の甘さで知られる 『 ぎょうせん飴 』 は
300年の時を経て、今でも香川県三木町で作られている (写真)。
10日ほど前、その飴をヒロちゃんに買って帰った。
ぎょうせん飴を割りばしでくるくる巻いて、おいしそうに食べたヒロちゃんは 「 いっぱい書かないかんことがある 」 と言って、ペンをとり、机にむかった。