フレッド・ジンネマン監督は、自分のことをしゃべらない人
だった。
寡黙で賢いオーストラリア生まれのジンネマンが戦争直後の
ドイツでロケをして撮ったのが 『 山河遥かなり 』
(The Search, 1947-48)
今では誰も知らないこの映画は、映画を越えている。
ロケ地が伝える状況の真実。
戦争が変えてしまった子供たちの目。
口がきけなくなった子供たち。
それをなんとかしようと必死の素晴らしい人たち。
多くのハリウッド作品が、言語をいい加減に扱って、大ざっぱに、うやむやにしているのに対し、この作品はドイツ語、フランス語、ポーランド語、英語をきちんと使い分けている。
オーストリアから来たジンネマン監督ならでは。
フレッド・ジンネマンの家族の多くはナチスの収容所で
殺された。
映画に登場する子供たちの目と、ジンネマン監督の目は同じ。
* ジンネマンはこの映画で未来のスター、モンゴメリー・クリフトをデビューさせた。
そのクリフトの演技について、クリント・イーストウッドは
「 一番、影響を受けた 」 と言っている。
クリフトは、アクターズ・スタジオ特有の 「 メソッド 」 演技
をしていた。
* アクターズ・スタジオの元祖と言える
イーライ・ウォラックとモンゴメリー・クリフトは
「 荒馬と女 」 で共演。 それがクリフトの遺作となった。